バリ島 すめれけて日記

バリ島在住の広島女が、インドネシアやバリ島のあれこれをお知らせします。 アナタの知らないインドネシアを覗いてみてください!!

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大胆不敵、女詐欺師・・・

バリ島の旅行会社の組合(?)に、ASITA(アシタ)というものがあります。

ASITAに加入していると、不定期でどこぞの国で旅行博があるだ、今月の旅行者数といった色々なお知らせメールがやってきます。

今回、すごいネタがありましたよ、ぐひひ・・・。

某旅行会社で働く、WILDAという28歳の女性が過去にバリ島内の旅行会社3件で横領をしていたんです。

んで、ASITAは彼女の顔写真と住所を公開し、絶対に雇うな!!という注意喚起を加入している全旅行会社に知らせたのでござぁす。

ASITAからこういう「雇うな!!」系のインフォメーションが送られてくることは多々あります。

○○って名前の台湾語ガイドがライセンス切れなのに仕事してるけぇ、気を付けろとか、A旅行社の○○が横領したけぇ気を付けろってな感じで。

前の会社の台湾マーケット担当のおばちゃんも載ったことあります・・・。

しかし、3社に渡って悪事を働き、しかも顔写真まで載ったのは初ざます。

どんなことをやらかしたのでしょうか!?

1件目(A社) : 2006年11月11日
航空券部門で働いていたWildaは、会社のお金Rp59,500,000を持ち逃げした。

2件目(B社) : 2008年8月末
ホテル予約部門で働いていたWildaは、バニュワンギ在住の顧客が払ったホテル代Rp22,000,000を持ち逃げした。

3件目(C社) : 2008年9月19日
航空券部門で働いていたWildaは、航空券の売り上げUS$4,000を持ち逃げした。

だそうです。

しかもですね、2件目と3件目の旅行会社はすんごい近い場所にあるんですよ!!多分、100m未満ですわ。私が前働いていた会社の近くですわ。

バリ島では旅行会社同士(いわばライバル!?)と言えども交流などは盛んです。そんな中で100m未満の距離でこんな大胆な事件をっ!!

例えるならば、ウェスティンで横領事件をしたスタッフが、ラグーナリゾートで働き、そこでも横領事件を起こすようなもんですよ。

只者じゃあないっすよ、Wilda。
Asita-Image-001.jpg
可愛いのにね。

もうひとつ驚いたのは、この3つの旅行会社が「全てWildaの責任であって当社の責任ではない」と言い切っている点です。

ってことはイコール、お客さんへのケアはナシかぁ・・・。下手すりゃホテル等への支払いもナシなんじゃ・・・。

私、前の会社でこーいう事件があったとき、2年間ボーナス減額になっちゃいました。しかも2005年以降に入ったスタッフはボーナスナシでしたけぇ。

社長は素直に、「Dewi(←横領した女)のオナラの臭いがまだ残ってるけぇじゃ」って言ってましたけんど・・・。見つけだして払わせろぉぉぉぉーと思いましたよ。

◇今日のルピアレート◇

2008年10月27日 : 1円 = 108.35ルピア

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中華航空機の事故

怖い事故がありました。
China-Airline-001.jpg
2008年9月20日に、台北発のバリ島・デンパサール行きの中華航空681便が晴天乱気流に飲み込まれた影響で機体が激しく揺れ、30人の負傷者を出すという事故が起きました。

事故が起きた、中華航空681便は、高度37,000フィートの上空を飛行中、突如晴天乱気流に飲み込まれて高度が一気に200フィートも下がるなどと言った激しい揺れに襲われました。

乗客、客室乗務員など30人が負傷し、そのうちの6人が肋骨を折るなどの重傷を負いました。

ところで、晴天乱気流とはなんでしょうか!?

晴天が付くってそれだけで、なんだか楽しそうな雰囲気なのですが・・・。

ってことで困ったときの、ウィキペディア(Wikipedia)様々。

晴天乱気流(せいてんらんきりゅう、Clear-Air Turbulence : CAT)とは、雲のような視覚的な兆候をまったく伴わずに起きる気団の不安定な移動である。

ほぉ、ってことは肉眼では確認できないんですね。

更に読むと、

「エアポケット」と呼ばれることもある。大幅に異なる速度で移動している空気の塊同士が衝突する時に起きる。
高高度(7,000-12,000m / 23,000-39,000フィート)ではジェット気流の周辺で頻繁に発生する。また、山脈の近辺で発生することもある。晴天乱気流は肉眼でもレーダーでも見つけることができないので、回避することも難しい。

しかし、シンチレーション計などの光学的に乱流を測定する装置を使えば、遠くから検知することが可能である。
この種の乱気流は、航空機の航行には危険な存在である。風速や風向が急激に変化することで、航空機の翼で生じる揚力が急速かつ予測不可能に変化し、激しい揺れが起きてしまう。
旅客機が乱気流に遭遇すると、機内で乗客や客室乗務員が体を投げ出されて負傷することがある(まれなことだが、1997年12月28日のユナイテッド航空826便の事故のように死亡事故に至る場合もある)。

ということです。

レーダーでも見つけることができないってのが怖いですねぇ。
いきなりじゃったら、ベルト着用サインとかも出てなかったんでは・・・!?ほいで、がくーんってやられたんですわな。

そーいえば、乱気流とかとは関係ないのですが、ジョグジャカルタのボロブドゥール上空はなぜかわからんけど、必ず揺れるそうです。不思議な気を出しているんですかねぇ!?

※写真は香港の空港に佇む中華航空機です。
私もよく中華航空を使って故郷に帰ってました。でも今回の事故は中華航空機云々ではなく、気流の問題ですけん、もしかしたらシンガポール航空だったかもしれんし、JALだって起こりうる事故なわけですよね!?

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こんなとこにもチャナンがっっ!?

バリ島で生活を始めて、早や5年がたちます。

いまだに慣れないことがあります。

それは、前を走ってるバイクのナンバープレートのとこに供えられたチャナンが落ちた瞬間です。

すんごいドキっとします。

チャナンってのはコレですね。
Osonae-mono-001.jpg
このチャナンはかなり豪華ですねぇー。

チャナンとは、バリヒンドゥー教のお供え物でやんす。

土台(??)は椰子の葉だそうで、その上にお花やらパンダンの葉を乗せ、お祈りの際にその上にビスケットや飴ちゃんをのっけ、聖水をかけます。

前の会社にいるときにほじくって中を見たことがあるのですが(この後、バリ人スタッフから怒られまして・・・)、中には枯葉とか爪楊枝みたいな木の枝とか謎のものがたくさん入っていました。

これをバリヒンドゥーの人々は、家の祠、ドアの前、ドアの上、台所などたくさんの場所にお供えします。

また会社では、FAX機、コピー機、コンピューターなどにもお供えし、運ちゃんは車にもチャナンをお供えします。

そこまで供えるんじゃけぇ、毎日通勤、通学に欠かせないバイクにもお供えしまっせ!!

まず、バイクのキロメーターのあるとこ(名前わからないだよ)にチャナンを置き、聖水をかけ祈りをささげます。その後、そのチャナンを前のナンバープレートのところに差込みます。

んで出発!!

あまりにスピードを出すのが原因なのか、はたまた差込み方がゆるいんか知らんけど、走ってるときに、ハラッとチャナンが落ちるんです。

後ろを走ってて、あれはびっくりおったまげますぜ。

でも赤やピンクやオレンジの花々が飛び散るのは中々美しいんです。

落ちるとこが見てみたいっっ!!ってことで脇見運転せんようにしてくださいよ!!

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インドビジョンを取り付けました!!

ワタクシ、『インドビジョン(INDOVISION)』を付けました!!

これで、毎週『篤姫』を見ることができるっ!!

ちょっと前のパナホームのCMの眼鏡のおっちゃんじゃないけど、「早く家に帰って、楽しみたい!!」ってな感じで、一刻も早く帰って、NHKが見たいっす!!

さて、このインドビジョンってのはですね、まぁいわゆる「スカパー」みたいな感じで、要は衛星放送です。私の家の前にも、大きなパラボラアンテナが付けられ、近所に「インドビジョン、付けたでぇー!!すごいじゃろー!!」ってのを無言のうちにアピールしとります。

前々から、このインドビジョンもしくはアストロ(ASTRO)を付けて、NHKを見たいっ!!と思っていたのですが、「多忙&めんどくさい」ってのを理由にただでさえ重い腰をあげることができなかった、私。

ちなみに前の会社の社長には、

お前は牛だ!!叩かれないと動かないからなっ!!

という暴言を吐かれ、みんなに同情されたことがあるほどでやんす。

そんな私の元に、インドビジョンはふとした瞬間にやってきましてね。

日曜に、庭の掃除をしようと外に出たら、私が出てくるのを待っていたかのように、おっちゃんから声をかけられまして。私、寄付とかバクソー屋とか移動式パン屋とかそーいう人かと思いましたわよ。

そしたらそのおっちゃんがインドビジョンのセールスじゃったんです。

加入方法は、アンテナと機械を取り付け、そんでもって身分証明書のコピーを渡し、申込書に記入するだけ・・・という気軽さ。

申込書をジャカルタの本店におっちゃんがFAXし、そんで処理後に受信可能になるわけです。

最初、アンテナ&機械取り付け費用として、Rp200,000がかかります。

こんな感じで取り付けてました。
Indovision-001.jpg
我が家には、椅子とか脚立とかがないので、大家さんにもらったアンティークの椅子を使って作業するにぃちゃんたち。

安定感がなく滑り落ちるのが怖いのか、

キ○玉打ったら、どうしよ・・・!?ワシ、まだ結婚しとらんのに・・・。

とぶつぶつ言ってました。確かに落ちたらアンティークの椅子の人形(?)の顔のとこにキ○玉がきますけんね。

私の椅子が壊れたらどうしよ・・・という心配は一切ナシです。

これで無事に加入することできました。

私の入ったパッケージは、

◇スポーツパッケージ : 1ヶ月、Rp149,000
◇NHKプレミアム : 1ヶ月、Rp55,000

というものです。

スポーツパッケージの中には、あのっ『アニマルプラネット』や『ディスカバリーチャンネル』、『MTVアジア』なんかもあります。

スポーツパッケージにして北京五輪を見よう!!とワクワクしてたんですが、もぉ終わったんですね・・・。

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8月17日はインドネシアの独立記念日でした

Hari-Merdekaan-001.jpg
本当は昨日ご紹介したかったネタなんですのよ。

独立記念日ネタでござぁす!!

そう、8月17日は前の会社の社長とアシスタントGMの誕生日、ではなくインドネシアの独立記念日でした。

私ね、前々からこのことについて考えていることがあったんですのよ。

8月6日に広島に原子爆弾が落とされ、9日に長崎に原子爆弾が落とされ、そんで15日に終戦を迎えた我がJAPAN!!
その2日後にとっとと独立するってどんな技を使ったんだい、インドネシアよ、と常に(でもないけど)思っていたんです。

もしかしたら日本の敗戦色が濃くなってきた時期から、ぼちぼちと日本兵が引き揚げていって、そんでじわじわと独立したのかい!?

んにゃ。

私の知り合いの元・日本兵のじーさまは、「終戦になって何ヵ月後かに引き揚げてきたら広島は焼け野原で、云々・・・」と語っておられました。

謎を謎のままほっておくことができない私は、調べてみた。

1945年8月17日、インドネシアは日本が第二次世界大戦で連合国へ降伏した後に、全世界に向けて独立を宣言したんです。

しかしこの独立を認めず再植民地化しようとした、オランダがまたまたインドネシアに侵略してくるんですねぇ。

そんでその後、4年5ヶ月もの間、インドネシアとオランダの間でホンマの独立戦争がおこなわれるんです。

バリ島の空港の名前&新しい50,000ルピアの顔になってる、ングラライさんが活躍したのもこの戦争でやんす。

そんで、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国となり、さらに1950年8月15日には、単一のインドネシア共和国となったのです。

じゃったら、この日を独立記念日にすればいいじゃんけ。

1945年から1949年の戦争は、「独立戦争」って名前じゃないっすか!!

とずっと思っていたんです。だって1945年の8月17日の時点ではまだまだ危ない時期じゃったんでしょうに。すっきり丸く治まってから独立宣言をしたい・・・と思うのは私がA型だからでしょうか!?(いやいや、あんたも結構いい加減じゃ・・・)

ちょっとこのングラライさんと独立戦争の話を詳しく。

ングラライさん(I Gusti Ngurah Rai)は、1917年1月30日にバリ島バドゥン県チャナンサリ村で生まれた、インドネシア人民治安軍の将軍でござぁす。
ジャワ島東部マランの高校に進学し、その後バリ島に戻りギャニャール県の士官学校を優秀な成績で卒業しました。
ジョグジャカルタの治安軍などに入って色々頑張ったングラライさんは(すげぇ、話を省いています)、インドネシア独立戦争の際に活躍します。

この独立戦争、元日本兵の方々も活躍されてるんですねぇー。

それを現すお話がありやんす。

1946年11月20日、ングラライさん率いる部隊はバリ島のマルガという地でオランダ軍と闘います。
このとき独立軍兵士85名と元日本兵7名の兵士が降伏勧告を拒否し果敢に闘ったのですが最後は玉砕(バリ語でププタン)しちゃいました。

そんで現在、激戦区じゃったマルガ村に英雄記念墓地があります。

ここには真ん中に、ングラライさんのお墓があり、その後ろに独立戦争で戦死した島内各地の英雄の墓碑が整然と並んでいます。

この中には、元日本兵の墓碑も12基あるんです。

この方々は、日本の終戦後にそれぞれの所属部隊を離脱して独立軍に参加したんです。
インドネシアを愛し、自分たちで育てたインドネシア人の義勇軍、兵補たちが闘ってるのを見て心打たれたんですな。

12名の元日本兵は、現地名を名乗っていたんですが、墓碑には「Jepang(ジャパン)」と書いてあるんです。

私、今年の5月に父の希望で仕方なく行ってきました。

ひっそりしてて寂れた場所なのかと思いきや、キレイに手入れされた庭(広場)でした。

ここには1372基も墓碑があるんで、元日本兵のを探すのも一苦労です。入り口のところに地図があるんでそれをチェックしてから入られることをおススメします。

まぁ、普通チェックするわな。

私らはせんかったんで、迷いました。んで見つけることできませんでした・・・。

とまぁ、こんな歴史がインドネシアにはあったんですね。

独立戦争って言うんじゃけぇ、1945年より前なんでしょ!?あれっ!?と頭がこんがらがるので、インドネシア人の友人に、「独立戦争が終わった日を独立記念日にしやがれ!!」と文句を言ったら、

1945年8月17日に独立宣言をしたから、独立戦争を闘えたんだ・・・。

と禅問答のような回答がありました。

深いっっ、と思わずうなってしまいましたよ、私・・・。

マルガラナ(MARGARANA)
入場料 : 記帳し、お布施をお願いします。
場所・アクセス方法 : デンパサールの北西タバナン県、マルガ村にあります。
クタ地区のホテルからは車で約1時間半。

※写真はジャカルタの独立記念塔モナスです。金色に輝くう○こ!?

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