バリ島 すめれけて日記

バリ島在住の広島女が、インドネシアやバリ島のあれこれをお知らせします。 アナタの知らないインドネシアを覗いてみてください!!

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8月17日はインドネシアの独立記念日でした

Hari-Merdekaan-001.jpg
本当は昨日ご紹介したかったネタなんですのよ。

独立記念日ネタでござぁす!!

そう、8月17日は前の会社の社長とアシスタントGMの誕生日、ではなくインドネシアの独立記念日でした。

私ね、前々からこのことについて考えていることがあったんですのよ。

8月6日に広島に原子爆弾が落とされ、9日に長崎に原子爆弾が落とされ、そんで15日に終戦を迎えた我がJAPAN!!
その2日後にとっとと独立するってどんな技を使ったんだい、インドネシアよ、と常に(でもないけど)思っていたんです。

もしかしたら日本の敗戦色が濃くなってきた時期から、ぼちぼちと日本兵が引き揚げていって、そんでじわじわと独立したのかい!?

んにゃ。

私の知り合いの元・日本兵のじーさまは、「終戦になって何ヵ月後かに引き揚げてきたら広島は焼け野原で、云々・・・」と語っておられました。

謎を謎のままほっておくことができない私は、調べてみた。

1945年8月17日、インドネシアは日本が第二次世界大戦で連合国へ降伏した後に、全世界に向けて独立を宣言したんです。

しかしこの独立を認めず再植民地化しようとした、オランダがまたまたインドネシアに侵略してくるんですねぇ。

そんでその後、4年5ヶ月もの間、インドネシアとオランダの間でホンマの独立戦争がおこなわれるんです。

バリ島の空港の名前&新しい50,000ルピアの顔になってる、ングラライさんが活躍したのもこの戦争でやんす。

そんで、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国となり、さらに1950年8月15日には、単一のインドネシア共和国となったのです。

じゃったら、この日を独立記念日にすればいいじゃんけ。

1945年から1949年の戦争は、「独立戦争」って名前じゃないっすか!!

とずっと思っていたんです。だって1945年の8月17日の時点ではまだまだ危ない時期じゃったんでしょうに。すっきり丸く治まってから独立宣言をしたい・・・と思うのは私がA型だからでしょうか!?(いやいや、あんたも結構いい加減じゃ・・・)

ちょっとこのングラライさんと独立戦争の話を詳しく。

ングラライさん(I Gusti Ngurah Rai)は、1917年1月30日にバリ島バドゥン県チャナンサリ村で生まれた、インドネシア人民治安軍の将軍でござぁす。
ジャワ島東部マランの高校に進学し、その後バリ島に戻りギャニャール県の士官学校を優秀な成績で卒業しました。
ジョグジャカルタの治安軍などに入って色々頑張ったングラライさんは(すげぇ、話を省いています)、インドネシア独立戦争の際に活躍します。

この独立戦争、元日本兵の方々も活躍されてるんですねぇー。

それを現すお話がありやんす。

1946年11月20日、ングラライさん率いる部隊はバリ島のマルガという地でオランダ軍と闘います。
このとき独立軍兵士85名と元日本兵7名の兵士が降伏勧告を拒否し果敢に闘ったのですが最後は玉砕(バリ語でププタン)しちゃいました。

そんで現在、激戦区じゃったマルガ村に英雄記念墓地があります。

ここには真ん中に、ングラライさんのお墓があり、その後ろに独立戦争で戦死した島内各地の英雄の墓碑が整然と並んでいます。

この中には、元日本兵の墓碑も12基あるんです。

この方々は、日本の終戦後にそれぞれの所属部隊を離脱して独立軍に参加したんです。
インドネシアを愛し、自分たちで育てたインドネシア人の義勇軍、兵補たちが闘ってるのを見て心打たれたんですな。

12名の元日本兵は、現地名を名乗っていたんですが、墓碑には「Jepang(ジャパン)」と書いてあるんです。

私、今年の5月に父の希望で仕方なく行ってきました。

ひっそりしてて寂れた場所なのかと思いきや、キレイに手入れされた庭(広場)でした。

ここには1372基も墓碑があるんで、元日本兵のを探すのも一苦労です。入り口のところに地図があるんでそれをチェックしてから入られることをおススメします。

まぁ、普通チェックするわな。

私らはせんかったんで、迷いました。んで見つけることできませんでした・・・。

とまぁ、こんな歴史がインドネシアにはあったんですね。

独立戦争って言うんじゃけぇ、1945年より前なんでしょ!?あれっ!?と頭がこんがらがるので、インドネシア人の友人に、「独立戦争が終わった日を独立記念日にしやがれ!!」と文句を言ったら、

1945年8月17日に独立宣言をしたから、独立戦争を闘えたんだ・・・。

と禅問答のような回答がありました。

深いっっ、と思わずうなってしまいましたよ、私・・・。

マルガラナ(MARGARANA)
入場料 : 記帳し、お布施をお願いします。
場所・アクセス方法 : デンパサールの北西タバナン県、マルガ村にあります。
クタ地区のホテルからは車で約1時間半。

※写真はジャカルタの独立記念塔モナスです。金色に輝くう○こ!?

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コメント

ぼんちゃん、コメントありがとうございます。

そうですね、インドネシアにとどまらせたのはなんだったんですかね?
私と母は、「オンナがおったんよー」と不謹慎且つ結構的を得たことを言ってたのですが、父だけは真面目に真の意図を考えていました。

確かにここは日本人観光客の行かない場所です。
最後の楽園だ、癒しの島だ、あーだこーだ言われてるバリ島もほんのちょっと昔にはこういうことがあったんだということを知る、いい場所じゃと思います。

  • 2008/08/20(水) 11:04:09 |
  • URL |
  • ガチョン・キハラ #-
  • [ 編集]

sayaさん、毎度コメントありがとうございます。

ングラライは空港のとこの交差点に立ってますよん!!あんな泣きそうな顔のおっちゃんなのに、英雄なんですもんねぇー。

モナスは、アラレちゃんがよくつっついてる、う○こでしょ!?
ジャカルタに行ったときはいつも金のう○こが目印でした。

  • 2008/08/20(水) 10:47:31 |
  • URL |
  • ガチョン・キハラ #-
  • [ 編集]

僕もその墓地に行ってみたい

終戦を知った日本兵なら、すぐにでも愛する妻や子ども、親たちがいる日本へ帰りたいだろうに。インドネシアの真の独立のために加わった兵士の気持ちは何だったのでしょうかね。
改めて、国と国との戦争の悲惨さと、その中でも生まれる、人間と人間とのつながり、愛、そんな事を感じさせました。
ここは、あまり日本人の観光客の行かない所ですよね。今度、バリに行くことがあれば、その墓地の中に立って一日中でも、戦争と人間について考えて、瞑想してみたいものです。

  • 2008/08/19(火) 22:20:33 |
  • URL |
  • ぼんちゃん #-
  • [ 編集]

こんばんは!
なるほどーー!とても分かりやすい記事で、勉強になりました。ングラライが人名だとか、モナスが独立記念塔だとか全然知らないで訪れてました。
すんません。私もモナスのてっぺんにばかり気が取られてしまって。。。だって、金って。。。

  • 2008/08/19(火) 20:53:27 |
  • URL |
  • saya #-
  • [ 編集]

サハルお父さん、コメントありがとうございます。

映画ムルデカは、その辺曖昧だったんで私はよくわからなかったんです。
何年か前に妹と見たのですが、「インドネシアラヤ」を歌ってるかと思いきや、戦争が始まって、なんだかわけがわからず苦悩しました。
それがきっかけで、調べてみました。

是非、機会があったら見てください。

  • 2008/08/19(火) 19:46:30 |
  • URL |
  • ガチョン・キハラ #-
  • [ 編集]

凄い話ですね。
正面からこの話題を掘り下げたガチョンキハラさんに敬意を表します。
そしてお父さんもやっぱり立派なお方です。

映画ムルデカもこういう内容なのかな?
早くリージョンフリーにして、私も観たいです。

  • 2008/08/19(火) 19:23:15 |
  • URL |
  • サハルお父さん #-
  • [ 編集]

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